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思いがけない、天からのプレゼント


私が第3子を妊娠したのは、いわゆる高齢出産と言われる頃で、元々、生理不順もありましたので、まったく妊娠するとは考えていませんでした。
ですから、「そろそろパートでも始めようかな」と準備をしていた時に、「あれっ?」と思ったのが最初でした。
初めは戸惑いましたが、この子は天からの授かりっ子だと思い、家族みんなで誕生を心待ちにし、妊娠中のトラブルもなく予定日から1日遅れで出産しました。

なかなか言葉がでないのは、なぜだろう・・・


未熟児にならない、ギリギリの体重で生まれたので、小さく可愛い女の子でした。
いつもニコニコと、すくすく成長しましたが、2歳を目前にしても、なかなか言葉が出ないことに、初めて小さな不安を覚えました。
しかし人よりもゆっくりと話せるようになったので、「話さなくても周りで世話をしてくれる人が、沢山いるから、発語が遅かったのかな・・・?」と思うようにしていました。
3歳になり、保育園へあずけて私は仕事を再開しました。
この頃、私も家族も誰も、彼女の障がいには気づきませんでした。
少し成長が遅かったが皆に追いついたと思っていました。

そして事件が起こったのです。ひとりで、1キロ先の保育園まで歩いて行ってしまいました。

ある日の朝、保育園の準備を済ませた彼女は、いつもなら私の準備が済むまで玄関先で遊びながら待っていてくれたのですが、その日は、なんと自分で歩いて1キロ先の保育園まで行ってしまっていたのです。
道は一本道ですが、途中には信号もあり、交通量も多い道路を一人で行ってしまっていました。
私はそのことに気づかず、園からの電話で、「一人で来ていますよ!!」と知ることになったのです。
とても肝を冷やしてしまいました。
それでも、無事であったことが何よりでしたが、思い起こせば、スーパーや店舗で居なくなる事はしょっちゅうでしたし、目を離すと自分が興味があるものの方へ行ってしまう傾向が強くありました。
彼女の上のきょうだい達も、もちろん子どもの頃は、子どもらしい快活さや危なさはあったのですが、自分の中で、「この子は何か違うのかも・・・」という違和感を抱え始めた出来事でした。

この違和感は何なのか?誰か教えてほしい。大丈夫だよね。聞いても誰も答えを知らない事実。


保育園へ通園中の3年間に、私は2度、保育園の先生へ相談しました。
「この子、何か障がいがあるようなことはないでしょうか?」
しかし、先生の答えはいつも、「心配ないですよ(^_^)」
「お祈りの時も、じっとして、しっかりとお祈りできていますから」
もちろん親として、子どもの障がいを認めたいと思っていた訳ではありませんが、何かあるのなら誰か教えてほしい・・・というような気持ちだったのかもしれません。
今思えば、その頃は障がいについての先生方の知識も、今の時代のように詳しくはなかったのだと思います。知識としては学習していても、身体障がいの方のように、目に見えない部分での障がいについての知識は、そんなに高くなかったのでしょう。
あるとすれば、ADHD(注意欠陥多動性障害)の中の、多動性、例えば「教室内でじっとできない子ども」たちに限定されていたような気がします。
ですから、「お祈り中、じっとできる」うちの子の障がいには、気づかずに時間が過ぎていったのでしょう。
それから、小学校、中学校、高校と彼女にとっては、大変な日々が訪れます

小学生の3,4年生になると、段々とお友達との関係が上手くいかなくなっていきました。
すると、いじめが始まりました。
上靴は田んぼへ捨てられ、髪には接着剤・・・


彼女は元来、明るく優しく頑張り屋さんです。
小学校の勉強も、しっかりと取り組んでいました。
しかし、3,4年生になると、段々と難しくなってきたようでした。
そして5,6年生になると、友人関係にも悩むようになりました。
女の子の人間関係は、高学年になると、深く複雑になっていきます。
この頃から思春期の間に、会話やふさわしい態度、気持ちを察することなどが苦手なせいで、自然と友人関係が狭くなっていってしまいます。
小学校では上手く友人関係が築けない、家庭でも自分が欲しいものは譲れなかったり、周りの空気を読まず、不機嫌になって怒られるなどが日常茶飯事でした。
男子との関係でも、いじめの対象にされやすかったのです。
授業で栽培している植物の芽を、彼女の分だけ全部抜かれてしまったり、上靴を田んぼへ捨てられたり、髪に接着剤を付けられたり・・・色々なことがありました。

先生にも理解されない中学時代。
いじめられ、トイレへ逃げ込み、悔しさをこらえていたのに、彼女の方を叱る先生。
更には、テストで正解しているところが×になっていたので、先生へ伝えると
「書き直したでしょっ!」と言われ、「認めるまで出さない」と個室へ監禁される。


相変わらずここでも先生方の障がいに対する知識は限定的だったのでしょう。
勉強についていけないのは本人の努力不足、友人関係が悪くても本人の性格のせい、そうして、とうとう先生までが彼女に「カンニング」の濡れ衣を着せて監禁する始末。
(カンニングは完全に先生の間違いであったことを証明しました!)

このように、一つ一つの問題に対して、私たちはただ必死で解決のために動いてきました。
当時は図書館とトイレが、彼女の逃げる場所だったのです。
中学3年生の時は、彼女がいじめられた時にトイレに逃げ込み、その悔しさからトイレットペーパーを、たくさん引き出したことがありました。
運が悪いことに、たまたま詰まってしまった時があったのですが、その時も怒られたのは私たちだけでした。
なぜか・・・それは、様子を見た(心配はしてない)女子が先生に、「○○がトイレを詰まらせた」と報告。
うちの子に事情を聞くことなく、損害の話と叱責。
私も呼び出され、備品の無駄使いと修理の件で謝罪させられました。
先生は、なぜそのようなことをしたのか、丁寧に聞く時間もなかったのかもしれません。
しかし、繊細な心の痛みを、言葉に出して上手く人に伝えることは、高い思考能力や想像力、遂行機能能力がいることなのです。
私とて、彼女の高校受験が迫っている時期に、決して成績は良くない状況で、先生に強く出ることはできませんでした。
内申書という武器を握られているからです。

苦難は高校生になっても続きました。
お弁当はひとりで、外で食べる。
聴覚過敏で、授業中の私語がうるさいので、先生に相談するといじめられる。
勉強にはついていけない。
そしてとうとう・・・


高校生になると人間関係も変わるので、親しい友人ができるかもしれないと期待しましたが、やはり始めだけで、上手くはいきませんでした。
その頃になると、彼女の中でも問題を回避する方法を身に付けていました。
例えば、お弁当は一人で食べる・図書館や保健室へ行って教室へはあまり居ないようにする。
私は、自分の高校時代や長女の高校時代と比較して、なんて寂しいことだろうと心配しながらも、日々の生活に追われて、あえて考えないようにしていたこともあったと思います。
そんな時に、学校から呼び出しがあったのです。
「娘さんが学校の窓から飛び降りようとした!」と・・・
頭をハンマーで殴られたようで、ただただ心臓がドキドキしたのを覚えています。
彼女には聴覚過敏もあり、授業中に私語があると集中できないので、そのことでたびたびクラスメートと言い合いになる事があったようなのです。
その時には、言い争いの勢いもあり、とっさに高層階の窓枠に立ってしまったようでした。
中庭を挟んで、校舎の反対側にいた他の生徒がそれを見つけて、「やめろ~!」と声をかけてくれたことで、大事に至らずに済みました。
私と夫が学校へ着くと、彼女は保健室で休んでいました。
ただただ、ほっとして、「無事でよかった」と抱きしめると「ごめんなさい」と彼女は泣きました。
私も涙が止まりませんでした。

運命を変えたカウンセリングと障がいへの知識

思えば、中学校の時に不登校にはならず、高校へも何とか進学できたのは、気の合うスクールカウンセラーの先生がいてくださったおかげでした。
定期的に彼女の話を聞き、励ましてくださいました。
そして、高校でも彼女の好きなカウンセラーの先生の時に予約を入れて、定期的に話を聞いてもらっていたのです。
「飛び降り未遂事件」が起こった時に、私たち親は初めて彼女の見立てを聞くことになりました。
カウンセラーの先生から、彼女の「知的能力をはかってみてはどうですか?」と提案されました。
先生は、「この子は、いつも一生懸命に勉強していました。お友達とも仲良くしたいと願っていました。それでも、どうにもならないことに不安や悔しさを抱えています。
障がいを疑ったり、調べたりすることは親としては抵抗があるでしょう。でも、この子の将来に支援が必要なのであれば、受けられるようにしておくことが大切だと思います。支援には期限があるものもあります。手遅れにならないように、判定だけでもしておきませんか?」と
とても丁寧に丁寧に、説明してくださったのです。
その時に私は思いました。
カウンセラーの先生は、今までどのようにして、カウンセリングでこの子の心を癒してくれていたのだろう?
私にもできることなのかな?
そして親への説明や、フォローの仕方も、なんて自然で心地よく伝えてくれるのだろう・・・と。
そして同時に、私たちに合うカウンセラーに出会うことの難しさと運命を感じていました。

カウンセリングを極めよう!
この子のために。
国家資格へ挑戦。公認心理師へ。

更に、最新の栄養学を学ぼう!
なぜなら、心と体は「自分の食べた物」で
できているのだから。
そして、分子整合栄養医学の
栄養カウンセラー資格取得。

心理・栄養:延べ5000人以上のカウンセリング



私は、この子のためにも自分のためにも、心理の知識を得たいと思い、学校へ入学しました。
そこであらためて、カウンセリングの力を感じていました。
彼女の知的障がいの判定が正式に出た日に、学校の先生のカウンセリングを受けながら、私は、「子どもに障がいがあったことがはっきりしたこと、私のせいかもしれないと思うと苦しいこと、今まで勉強や人間関係の面でも、娘に無理をさせてきたかもしれないこと、これから、この子の将来のために、どうしたらいいのかわからないこと」などを話しながら、ポロポロと泣いていました。
すると先生は、「そのために勉強しているのでしょう。ここに答えがあるのだから安心して進んでいきなさい。」
「これから同じような親たちのためにも、障がいのある子どもたちのためにも、その技術と知識を使いなさい。」と話してくれました。
私自身、多くのカウンセリングを受けることで、自分の軸がしっかりとして、不安に落ちてしまうこともなくなりました。
その後、国家試験を突破して公認心理師になりました。
更に元々持っていた栄養士の知識もブラッシュアップし、最新の栄養学(分子整合栄養医学)を学び直し、栄養カウンセラーの資格も取得しました。
それは、カウンセリングの効果を高めるためには、そのための土台である体(思考)を栄養で整える必要があると考えたからです。
仕事は、心療内科や精神科で心理カウンセラーとして働いてきました。
多くのクライアントさんに、感謝されてきたことは貴重な財産です。

自分を癒して、不安や心配を手放しましょう。

家族が穏やかに、未来に希望を持てるように。

あなたが、何かを求めて遠回りをしなくても

「しあわせ自立ファミリーレッスン」

ノウハウを惜しみなく詰め込みました。

そして、娘は今、就労移行支援を受けながら就職へ向けて笑顔で頑張っています。
一緒にアイドルのコンサートへ行ったり、ランチを楽しんだり・・・
まあ時々は、お説教もしますが(笑)
将来のことについても、家族みんなで前向きに考えていっているところです。
皆さんが、もし、我が子のデコボコ(凸凹障がい)が心配であったり、またはグレーゾーン(境界知能)が心配であったりするのなら、ぜひお話を聞かせてください。
夫婦間や兄弟、あるいは義理の両親などへの説明で悩んでおられる場合もあるでしょう。
なにより、自分自身の感情が苦しいのであれば、カウンセリングを受けてみませんか?
そんな方のために、私にできる全ての力を使いたいと思っています。
幸せで穏やかで、笑顔があふれる家族へのお手伝いをしたいのです。
あなたが回り道をしたり、悩んだりしなくてもいいのです。

あなたの声を聴かせてください。

私は、ここで待っています。

      

               星 りりこ